佐々木太一(バレー)現在や経歴は?合格率0.2%の資格取得者!

1990年代にバレーボール日本代表として活躍していた佐々木太一選手。
なんと、合格率0.2%の超難関資格「マスター・オブ・ウイスキー」を取得していて、
現役引退後も多岐にわたって活躍されているようです!
佐々木選手の現在や、今までの経歴などをまとめていきます。

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佐々木太一 現役時代の経歴や現在は?

4月26日放送の「爆報THEフライデー」で
1990年代にバレーボール日本代表として活躍した
佐々木太一選手が取り上げられます。

現役引退後から現在、何をしているのでしょうか。
まずは佐々木選手のプロフィールを見ていきましょう。

名前:佐々木太一(ささき・たいち)
生年月日:1971年12月14日(47歳)
出身地:横浜市

小学生の時にバレーボール小学生大会のライオンカップに出場し、
中学高校とバレー部に所属していました。
専修大学に進学し、在学時に全日本に選出されサントリーに入社後も
全日本で活躍していて、194cmとセンターとしては小柄ですが、

ブロック到達点は330cm、スパイク到達点は343cmを記録するなど
実力のある選手でした。
こちらが佐々木選手の出場した大会と、受賞歴です。

*全日本での主な出場
1994年 世界選手権(世界バレー) 出場
1995年 W杯出場(第5位)
1995年 ユニバーシアード 出場
1996年 アトランタオリンピックアジア大陸予選 出場
2000年 シドニーオリンピック最終予選 出場

*受賞歴

新人賞(1993年)
若鷲賞(黒鷲旗全日本男女選手選抜バレーボール大会・1994年)
ベスト6(黒鷲旗全日本男女選手選抜バレーボール大会・1995年)
ベスト6(1995年・1998年・1999年・2000年・2001年)
スパイク賞(2001年)
Vリーグ特別賞(2003年)
Vリーグ日本記録賞(2007年・スパイク賞(62.66%))

2005年に引退後は、サントリーの営業社員として活躍する一方で、
CS放送GAORAやフジテレビのバレーボール中継の解説も
積極的に行っています。

佐々木太一 合格率0.2%!?ウイスキーの資格取得!

佐々木選手は現役を引退後、サントリーの営業に配属となりました。
しかし2年ほど経っても上手くいかず、そんな姿を見かねた上司の大阪支社長から、
誕生したばかりの社内資格「ウイスキーアンバサダー」を取るよう勧められ、
大阪府島本町に向かったそうです。

そこは、山崎蒸溜所で世界的に知られるウイスキー「山崎」の産地にして、
日本最古のウイスキー蒸溜所、サントリーの創設者の鳥井信治郎さんが造り、
NHKの連続テレビ小説「マッサン」で有名になった竹鶴政孝さんが
初代所長を務めたジャパニーズ・ウイスキーの「聖地」でもあります。

佐々木選手はここでウイスキーの歴史を学んだり、
味覚や嗅覚を研ぎ澄ませるブレンダーや作り手たちの仕事に触れ、
自ら味わったここでの感動を「お客さんにも伝えたい」という思いから、
営業とウイスキーアンバサダーとの「二刀流」を始めました。

19年にサントリーの社内資格「ウイスキー・アンバサダー」の第1期生となり、
23年には日本の愛好家団体「スコッチ文化研究所」が定める
合格率0.2%の超難関資格、「マスター・オブ・ウイスキー」で
最初の合格者となり、現在は”ウイスキーの伝道師”と呼ばれるまでに
その道を極めています。

マスター・オブ・ウイスキー試験は、プロフェッショナル資格保有者を対象にしたウイスキーコニサー資格認定試験の最終段階にあたり、最高レベルの難易度を誇ります。試験は1次試験のオリジナル研究論文(未発表に限る)審査と、2次試験の筆記試験、口頭試問、官能試験を経て認定されます。年1回秋~冬にかけて実施いたします。

ウイスキーの資格の中で最終段階の試験です!

元々はバレーボール選手として活躍していたのに、
全く別の分野でもご活躍されていてすごいと思います。
そして、合格率0.2%の超難関資格に挑戦したことや、
取得したところでとても努力家なんだなと感じました!
少なからず努力は無駄にはならないと思いますし、
努力しなければその道に近づくこともないと思うので、
私も新しいことにどんどん挑戦して、努力し、
後悔しないような人生を送っていきたいです!



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