村岡桃佳 Wiki風プロフィール!パラリンピックでメダル獲得できたのは父のおかげ!

9日に開幕した平昌パラリンピック。
開幕式で日本選手団の旗手を務めた村岡桃佳選手が
アルペンスキー・スーパー複合で銅メダルを獲得しました。
まだまだ活躍が期待される村岡選手の出身や、高校・大学、
家族構成などをWiki風にまとめていきます。

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村岡桃佳 Wiki風プロフィール!スキーを始めたきっかけは?

[出典;日本財団パラリンピックサポートセンターHP]

名前:村岡桃佳(むらおか ももか)
生年月日:1997年3月3日(21歳)
出身地:埼玉県深谷市
身長:150cm
体重:37Kg

日本のチェアスキー選手、早稲田大学所属
種目:アルペンスキー

4歳の時に原因不明の横断性脊髄炎で下半身が麻痺し、
それ以降、車いすでの生活を余儀なくされます。
村岡選手は、元々外で遊ぶのが好きでしたが、周りから気を使われるようになり、
外に出ることが怖くなり、引きこもりがちになりました。

“人前に出るのが怖い。”
そんな気持ちを変えてくれたのが、スポーツだったと言います。
はじめは陸上を中心にやっていましたが、小学2年生の時にチェアスキーの
体験会に誘われ毎年1度行く程度だったのが、次第に「個人的に滑りに行くけど一緒にどう?」と
体験会で知り合った友達に誘われるようになり、滑る回数が増えていきました。
そんな中、中学2年生の時に、菅平高原のゲレンデでトップレベルの人たちが
滑っているのを見て、森井大輝選手に憧れてのめり込み
本格的に競技スキーを志し世界を目指し始めます。

進学は、本庄市にある早稲田大学本庄高等学院を目指していましたが、
当時校舎はバリアフリー化していなかったため、進学を断念し正智深谷高等学校に入学しました。
17歳の時にソチパラリンピックに出場し、大回転5位で入賞を果たし、
パラスポーツ選手として初めて「トップアスリート入試」に合格し
早稲田大学スポーツ科学部に入学しました。

2017年の国際パラリンピック委員会ワールドカップ韓国大会では、
スーパー大回転で2位、白馬村大会では優勝を果たしました。
そして、2018年3月9日の平昌オリンピック開幕式では、日本選手団の旗手を務め、
今季大注目の選手となっています。

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村岡桃佳 平昌オリンピックで次々にメダル獲得!父のおかげで今がある!

村岡選手は、パラリンピックが開幕し、翌日の10日にアルペンスキー女子滑降(座位)で
銀メダルを獲得し、平昌大会における日本人メダル第1号となりました。

お父様も涙を流していましたね。

父・秀樹さんは車いすの生活になった娘を少しでも理解したいと、
車いすを使ったスポーツを始め、車いすテニスや車いすバスケ、
そりを使ったパラアイスホッケーに2人で行き、楽しんでいたようです。
村岡選手は、高校生までコーチや指導者もいなかったため、
すべて父に教わっていましたが、父もスキーは趣味程度で、
競技に携わっていないため、二人で手さぐり状態。
しかし、どんなときも側で支えてくれて1人で戦っているわけではないと
思わせてくれていたようです。

村岡選手はいつも練習に付き合ってくれてサポートしてくれた父へ感謝し、
レース前には、”父にメダルをかけてあげたい――。”と話していたそうです。
ずっとコソ練に付き合っていたお父様も嬉しかったでしょうね。

さらに、11日のスーパー大回転では、銅メダルを獲得しました。
そして、平昌冬季パラリンピック第5日の13日、
アルペンスキー・スーパー複合女子座位の試合が行われました。

午前中に行われた前半のスーパー大回転で、トップとわずか0.32秒遅れで
2位につけた村岡選手は、後半の回転は6番滑走で登場し、
トータルで2分30秒25をマークし、3位に入りました。

見事銅メダル獲得となり、今大会でのメダル獲得は滑降での銀メダル、
スーパー大回転での銅メダルに続き、3つ目となりました。

村岡選手はまだ回転、大回転の試合も残されていて、期待されています。
私にとってはスキー自体難しいスポーツだと感じているのに、
村岡選手は障害がありつつもこのようにスポーツに積極的に取り組み、
結果を残されていることがすごいと思いますし、まだお若いのに尊敬します。
このように誰にでも影響を与えられる選手が世の中にいるんだと思うと、
自分も何かに全力で打ち込む勇気や希望を与えられますね。

残りの試合でもメダル獲得できることを願っています。
頑張ってください!

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