秦光秀(三四六)引退の理由や現在の仕事は?結婚して嫁や子供も!

1月3日放送の「消えた天才」に第66代横綱・若乃花と
柔道五輪金メダリスト吉田秀彦選手の
異なるスポーツで頂点を極めた2人が口を揃えて
「勝てなかった」と語る神童・秦光秀さんが出演します。
現在は引退していて、松山三四六としてものまねタレントや
リポーターなど幅広く活躍し、妻・網浜直子さんと結婚していますが、
引退の理由は何だったのでしょうか?

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秦光秀 プロフィール!引退理由は?

秦光秀さんが「消えた天才」に出演します。
まずはプロフィールをまとめます。

本名:秦光秀
芸名:松山 三四六(まつやま さんしろう)
生年月日:1970年7月9日(47歳)
最終学歴:明治大学法学部卒業
職業:日本のものまねタレント、リポーター、ラジオパーソナリティ
長野大学社会福祉学部客員准教授
JVCエンタテインメント所属

秦さんは小学4年から6年にかけて、相撲の全国大会で3連覇を果たし、
若乃花と秦さんはともに明大中野中学に進学します。
しかし、秦さんは相撲部には入らず柔道部に入部し、
そこでなんと全国中学校柔道大会で優勝を果たしました。
柔道選手として将来を有望視されていて、オリンピック金メダルを目指し、
明大中野高校・明治大学でも柔道選手として活躍していましたが、
度重なる怪我により20歳の時柔道競技の道を断念します。
これが引退の理由でした。

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現在の仕事は?結婚して妻や子供も!

1992年の明治大学在学中に日本テレビの
「史上最強ものまねバトル大賞」の素人選手権で優勝し、
見事芸能界デビューとなりました。
これをきっかけに吉本興業に入社し、松山三四郎で活動を始めす。
当時松山千春さんのモノマネをしていたところ、その実力が認められ、
直々に命名され、現在の所属事務所に移籍するときに
「松山三四六」へと改名しました。

1994年、吉本興業退社後、「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務め、
同時にラジオパーソナリティとしてもデビューしました。
そして、秦光秀さんは「ものまねバトル大賞」の出演をきっかけに、
共演した女優の網浜直子さんと出会い、1998年に結婚し、
お子さんも2人いらっしゃるようです。

そして2000年9月に番組が終了すると活躍の場を長野県に求め、
2001年4月からスタートしたFM長野の「346 GROOVE FRIDAY」の
メインパーソナリティを務め、以来活動の主軸を長野県において
芸能活動をしています。
現在では、スカイパーフェクTV!のチャンネルでも活躍中で、
執筆活動やコンサートツアー、柔道の国内主要大会において
レポーターとして登場するなど、その活躍の場は多岐に渡っています。

また、松山千春さんに命名されたほどの信頼があるからか、
松山千春のON THE RADIO(FM NACK5)では2008年7月6日、
7月13日の2回、同年6月25日に不安定狭心症で倒れた松山千春さんの
代役を務めていました。

*追記
番組では、19歳で膝の半月板を損傷し、ケガは克服できたはずだったけど、
初めての挫折を乗り越えられなかったこと、
そしてココリコやロンドンブーツと仕事をしたときに、
彼らの貪欲さに、僕はなんで、こんなことをしているんだろうと
思ってしまったと2度目の挫折をします。
一時は「死にたいな、いなくなっちゃいたいなと思った」とも言っていました。
 しかし、家でテレビを見ていたとき、幕内初優勝を飾った若乃花(当時)が
インタビューで「もっと稽古をしていかないといけない」と全くおごらない姿勢を
見せたことに感動し、その時に
「どんな世界でも頑張っていられれればいいじゃないか。
この世界で何があっても頑張ろうと思った」と奮起したということです。

最後に、
 「相撲と柔道の道に進まなかったことに後悔はあります。
でも、その後悔を打ち消すために仕事で頑張れる。
これからも仕事で悔しい思いをしたことを忘れず、、頑張りたい」

と秦さんは話していた。

追記終わり

自身の怪我で引退を決意し、芸能界への道へ進んだ秦さんですが、
スポーツ界だけでなく、芸能界でも活躍していて、
本当に才能があるんだなと思いました。
今後も様々な面で活躍されていくと思いますので、
注目していきたいです。

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