京唄子 死因は肺炎で老衰!結婚4回・離婚3回の事実!

今年の4月に肺炎で亡くなった京唄子さんが
本日の「爆報THEフライデー」で取り上げられます。
娘さんが出演し、京さんの晩年を激白するそうです。
渡る世間は鬼ばかりで知られる京唄子さんの軌跡とともに
恋愛遍歴についてまとめてみます。

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京唄子 死因は肺炎!?謎の死を遂げる!



名前:京唄子
本名:鵜島 ウタ子
生年月日:1927年7月12日
没年月日:2017年4月6日(満89歳没)
出生地:京都府京都市上京区西陣
死没地:大阪府大阪市
職業:女優、漫才師
活動期間:1945年〜2017年
配偶者:あり(離婚歴あり)
事務所:さち子プロ

1945年、宮城千賀子の劇団「なでしこ劇団」に入り、
「京町唄子」の名で舞台女優となりました。
 
1969年から1985年まで16年間続いたフジテレビのトーク番組
「唄子・啓助のおもろい夫婦」で鳳啓助さんとともに司会を務め、
啓助さんとの丁々発止の言葉のやり取りが番組の人気となり
名物になりました。

 

このほか、日本テレビの芸人オーディション番組「お笑いスター誕生!!」でも
啓助さんとともにレギュラー審査員の一員として出演していました。
 
1993年からは「渡る世間は鬼ばかり」で、岡倉家の五女・長子の姑である
本間(神林)常子役として出演したことでも知られています。
TV出演時など普段からおしゃれで、渡鬼出演時の衣装のほとんどが
自前の衣装だとインタビューで語っていたほど、
ファッションセンスが素晴らしい方でした。
その後もテレビドラマなどで活躍していきました。
 
そして、2009年4月28日、車椅子姿で記者会見を開き、
同年5月の松竹座公演降板と腰椎圧迫骨折及び腰椎変性すべり症を
患っていて、その治療のため一切の芸能活動の休止を発表しました。
「芸能生活64年、まさか自分がこんなことになるとは思ってもみなかった」
と精神面でのショックも大きく、胃に複数の潰瘍も患っていることなども明かし
「何としてでも直して、また舞台へ立ちたい」と
前向きな気持ちを語っていました。
約1年半の病気治療及びリハビリを経て、2010年10月14日放送の
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」最終シリーズで復帰を果たしましたが、
結果的に遺作となってしまいました。
 

「爆報THEフライデー」放送される内容は

今年4月に肺炎でこの世を去った昭和の怪物女優・京唄子
その死には多くの謎が…亡くなるまでの
7年間は一切の資料が残されていない
一人娘が禁断の晩年を初激白!

ということで、娘の鵜島節子さんが「謎の晩年」を暴露していました。
腰を万全にしたいために、ある病院で「腰椎インストゥルメーション手術」という
成功率30%の難手術を受け、成功しました。
しかし、手術で入れた金具の重みに骨が耐え切れず、
腰椎を粉砕骨折してしまいます。
医師から「2度と歩くことはできない」という診断を受け、
24時間介護が必要な、寝たきり生活になってしまったそうです。
そして6年に渡る闘病の末、2017年4月6日午前10時33分、
大阪市内の病院でお亡くなりになりました。
 
死因は「肺炎」と「老衰」という情報が流れていますが、
満89歳と、平均寿命を上回っており、どちらも死因にあたると思われます。
とても長生きされましたね。

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京唄子 恋愛遍歴がやばい!結婚4回離婚3回の事実!

京唄子さんは4回の結婚に伴い、3回離婚しているという
遍歴をお持ちです。
 
一人目は女優になって間もない頃、俳優の浪花五郎さんと結婚しました。
その時に授かったのが娘の鵜島節子さんでした。

しかし5年で離婚してしまいます。
 
その後、1956年に「瀬川信子一座」で座付き作家を務めた
「鳳啓助」さんと出逢い、漫才コンビ「唄子・啓助」を結成して漫才を始め、
結婚し、9年経った1965年に離婚しました。
離婚後もコンビとして、共に活動していましたが、
1994年に鳳啓助さんが死去したことによりコンビは消滅となり、
その時、京さんは”もう漫才はやらない”と断言していました。

3人目の結婚は三田マサルさん(啓助の実の弟・志織満助の元相方)で、
4人目の結婚相手が死去時の夫となりましたが、名前まではわかっていません。
 
結婚や離婚を繰り返していましたが、最期の時に後悔がない生き方が
できたと思えていたら良いなと思います。

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